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第76話 帝人さんの好きな場所

Auteur: 八月 猫
last update Date de publication: 2026-08-16 09:01:11

 喫茶室を出た頃には、午後三時を少し回っていた。

 私は紙袋に入った写真集を持ち、帝人さんと並んで階段を下りた。

「この後はどうしますか?」

「小春が決めるんじゃなかったのか」

「今日は私が連れていくと言いましたけど、全部を私が決めるとは言っていません」

 帝人さんが少し考える。

「なら、一か所だけ俺が決めてもいいか」

「珍しい聞き方ですね」

「勝手に決めるなと言ったのは小春だろう」

「そうでした」

 ちゃんと覚えている。

「どこへ行くんですか?」

「ここから歩いて十分くらいだ」

「十分単位」

「距離の説明だ。予定表ではない」

 即座に反論された。

 私は笑いながら、帝人さんの隣を歩き始めた。

 大通りを渡り、少し古いビルが並ぶ一角へ入る。

 帝人さんが立ち止まったのは、商業ビルの上階にある小さな展望スペースだった。

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     評価制度を変更してから一か月。 皇ビジネスパートナーズの最初の月次報告が届いた。 私は資料を開き、最初の数ページを確認したところで思わず手を止めた。「帝人さん」「何だ」「数字、かなり悪くなってます」 正式に報告された軽微な事故は前月の二倍以上。顧客からの苦情も増え、これまで「問い合わせ」や「現場対応完了」に分類されていた案件の一部が、正式な報告として上がるようになっている。 以前の基準で見れば、とても改善した会社には見えない。 帝人さんは私から資料を受け取ったものの、驚く様子もなくページをめくった。「予定通りだな」「予定通りって言える増え方ですか?」「ああ。制度を変えて一か月で問題そのものが倍になるわけがない。今まで見えていなかったものが上がってきただけだ」 そう言われれば、その通りだった。 私は改めて資料を確認する。 報告件数だけなら大幅に増えている。でも今回は、それだけではなく、発生から報告までにかかった時間や、現場で最初に行った対応まで記録されていた。「報告までの時間は短くなってますね。前は数日後にまとめて上がってたものが、今月はほとんど当日です」「そこを見るべきだ」 帝人さんが頷く。「悪い情報が早く上がれば、対処も早くできる。件数だけ減って、三週間後に同じ問題が十件見つかる方がよほど悪い」 さらに先を確認すると、同じ原因による再発事案には、本部側から改善担当が入るようになっていた。以前、三回繰り返しても現場だけで処理されていた設備不具合も、今回は二件目の段階で共有され、同型設備を使う別の事業所まで一斉点検が行われている。「帝人さん、これ……」「ああ。一件報告されたことで、別の拠点でも同じ劣化が見つかっている」「前だったら、それぞれ壊れてから直してたかもしれない?」「その可能性が高い」 数字だけ見れば、事故が増えた。 でも実際には、まだ事故になる前の不具合まで

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     現場を見た翌日、皇ビジネスパートナーズの真壁社長と人事責任者、それから現行の評価制度を設計した担当者が本社へ集まった。 机の上には、現在の評価表と、過去二年分の部署別実績が並んでいる。 帝人さんは最初から制度をすべて作り直すつもりではなかった。「今の評価制度にも残す部分はあります。売上や利益を見ること自体は必要だし、事故や苦情を減らす目標も間違っていない。問題は、発生件数だけをそのまま評価へ結びつけたことです」 真壁社長が頷く。「報告した部署ほど、不利になる状態ですね」「ああ。そこを外す」 人事責任者が資料へ書き込みながら確認する。「では、事故や苦情の報告件数を評価項目から削除する、ということでしょうか」「全部は削らない」 帝人さんはすぐに答えた。「実際に問題が多い部署まで同じ扱いにしたら、今度は管理責任が見えなくなる。見るべきなのは、件数だけじゃない」 私は横で聞きながら、現場で会った男性社員のことを思い出していた。 彼は問題を起こしたくて黙っていたわけではない。報告した方が損になる制度の中で、それなりに合理的な判断をしただけだった。「じゃあ、何を評価するんですか?」 私が聞くと、帝人さんは評価表の余白に線を引いた。「発生したか。早く報告したか。同じ原因を繰り返したか。報告後に改善したか。この四つは分けて見る」「一件の事故でも、全部同じ減点にはしない?」「ああ。例えば、本人に防げない設備故障を見つけてすぐ報告し、原因まで特定して再発防止につなげた人間を減点する理由はない。逆に、軽微だからと放置して同じ問題を十回繰り返したなら、件数が少なく見えても評価は下げるべきだ」 人事責任者が少し考えてから言う。「それなら、早期報告を加点対象にする案はいかがでしょうか」「単純な加点にはしない」 帝人さんが即座に返した。「報告一件につき何点、のような制度にすれば、今度は報告件数を増やす方が得になる。現場で解決で

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  • 天上天下唯我独妻!!〜私、最強の御曹司よりも強いらしいですよ?〜   第174話 悪い報告が少なすぎます

     追加資料が揃ったのは、それから三日後だった。 皇ビジネスパートナーズから届いたのは、退職理由の集計、顧客対応履歴、設備更新の延期一覧、それから各部署で処理された軽微なトラブルの記録だった。 私は帝人さんの机に資料を並べながら、先に確認した内容を簡単に整理する。「退職理由は『一身上の都合』が一番多いです。顧客対応は、苦情として正式登録されたもの以外に、各部署で完結した問い合わせがかなりあります。それから設備更新の延期は十七件です」「十七」「はい。ただ、全部すぐ危険があるものではなくて、稼働に問題がないものは次年度以降へ回した、という説明になってます」 帝人さんは返事をせず、まず退職理由の一覧から見始めた。 私は向かい側に座り、別の資料を開く。 数字そのものに不自然なところはない。 でも。 前回の業績資料と並べると、少し見え方が変わる。「小春」「はい?」「『一身上の都合』の内訳は?」「そこまでは来てないです。人事面談の原文は個人情報があるので、今回は集計だけです」「なら匿名化して出させろ。理由を分類した側の基準も必要だ」「分かりました」 帝人さんは次に顧客対応履歴を開いた。 正式な苦情件数は、やはり大きく減っている。 その一方で。「帝人さん、これ」「何だ」「『問い合わせ』扱いの中に、実質かなり強い不満が混ざってます」 私は一件を表示した。 清掃サービスの契約先から入った連絡で、同じ箇所の対応遅れが三回続き、担当者の変更まで求められている。「これ、普通に苦情じゃないですか?」「分類上は問い合わせだな」「どうして?」「まだ分からない」 帝人さんは別の案件も開いた。 納品時間の遅れ。 担当者の連絡不足。 設備点検の再実施。 どれも最終的には現場で処理

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